長生きしたいからこそ、健康の「目的」を考え直したい

日々、テレビやネットで健康に関する情報を探したり、日常生活の中でそれを実践したりする……前から言ってる通り、私は今までそういうことを、どちらかというと否定し、無視し続けてきた側の人間なんです。

「健康情報ばっかり気にしている人って、なんだかなあ」

……って感じで、ちょっと変な目で見ていたと思います。

でも、今は思いっ切り「健康志向」になりたいと決めています。できるだけ「健康情報」に頼ろうと思っています。健康は大事です。ほんとに。

しかし、ではなぜ健康でいるべきなのか?

なぜ健康に注意しなければならないのか?

……といったことをあらためて考えたときに、自分でもはっきり答えられない気がしたんですね。

私はなぜ、健康になろうとしたのか?

もともと、私が

「健康になろう」

と考え始めたのは、ただ健康診断で予想以上に悪い結果が出てしまい、それを目の当たりにして

「ヤバい」

って動揺したからなんです。単純な理由です。

つまり、今のまま行ったらマズい、何とかしないと……って感じたからです。

マズい……という意味は要するにはっきり言えば

「死んじゃう」

ということです。最初はそれ以外に理由らしい理由など考えていませんでした。

でも、それからいろいろ考えているうちに、健康で長生きして……それがいったい何なのか?

健康でさえあれば満足なのか?

健康のことばっかり気にしている生活って、本当に良いことなのかな?

楽しいのかな?

……とか、いろいろ迷うことも出てくるわけです。

健康であることは「ふつう」のこと

健康とは何でしょう……。よく、病気になって見ると健康でいられることの幸せがよく分かる、と言います。

なので、健康な人にとって、健康というのは……別に何でもありません。ただ、ふつうのことと感じると思います。

もちろん、今病気や怪我などで苦しんでいる人から見ると、

「健康が、何でもないふつうのことだなんて、とんでもない!」
「自分の幸せに気が付けないなんて、浅はかなヤツだ」

とか、

「世の中には苦しんでいる人もたくさんいるのに、軽率なこと言うな」

と感じることでしょう。

しかし、やはり日常、健康に何の問題も抱えたことがない人にとっての「健康」とは、ごく普通の状態。特に何も感じない当たり前の状態。失ってみないと気が付けないようなこと……なのです。

そのような人の立場から言うと、

「健康のために何かする」

ということ自体の意味が……ピンと来ません。

むしろ、健康というのはデフォルトであり、前提だからです。

「健康」を意識するきっかけ

「健康のために」

という感覚を、言葉だけじゃなくて本当に実感するには、何かしらのきっかけが必要です。

たとえば

① 親族や近しい人の死などに遭遇した時

などには、もちろん強いショックを受けるでしょうし、場合によっては、自分自身の身に置き換えて「死」や「病気」などの問題を考え始めることでしょう。

あるいは、

② テレビの健康番組などで健康を害する危険性などの情報を見た時

環境汚染や食品添加物の問題などで体に有害な物質の話題や、病気の初期症状や原因、兆候などの話題。最近はこういった番組が本当に多いですからね、嫌でも目にすることになります。

③ 健康診断で「要観察」とか「要医療」という結果が出てしまった時

……これは私のことですけど、さすがに本気で健康という問題に向き合わざるを得なくなります。あるいは、別に悪い結果がまったくでなくても、健康診断を受けただけでも健康について考える良いきっかけになる場合もあるでしょう。

私の場合は、今まではそういう感覚を持ったことがなかったのですが。

今から思い起こせば……もっと早くに考え始めていたら、と少し悔しくも思っています。

④ 自分自身が、実際に大きな怪我や病気をした時

結局、一番はっきりと健康のありがたみを知る機会は、それを失った時です。

⑤ 老化、加齢を感じた時

特に何の症状もなくても、人間は自然に「年齢を感じる」という経験をだれもがしなければなりません。若い時分のように動けない、力が出ない、無理が利かない、疲れが取れない、お肌がシャワーの水をはじかない……。

「健康のために何かする」ということ

多くの人は、若いうちは、そもそも健康のことなんて、ほとんど考えなくても健康に過ごせていたわけで。

中高年以降、健康の問題を意識せざるを得ない状況になるということは、言い換えれば、健康のことなど考えないままに暮らすことができなくなりつつあるという問題意識なのであり……。

そこで、

「健康のために何かしなければ」

と考える、つまり健康というものが「目的化」することになります。

しかし、たいてい頭の中で「健康で長生きすること」が目的化すると、そのことによって逆に混乱するというか、新たな疑問が湧き起こる原因になってしまうのです。

「健康で長生きして……それがいったい何なのか?」
「健康でさえあれば満足なのか?」
「健康のことばっかり気にしている生活って、本当に良いことなのかな?」
「楽しいのかな?」

これは、ある意味言葉の上でのトリックのようなものですが、健康を目的にするんじゃなくて、気持ちの上で、

「健康のことなど意識しなくて済むようにすること」

を目的にするほうが良いのではないでしょうか?

だって、本当に健康な人は、健康というのはデフォルトであり当然の前提的な状態だとしか思っていないわけですから。健康のことなんて普段ほとんど考えていないはずだから。

その上で、いわば今までと同じように生きていけばいいんじゃないでしょうか?

「長生き」を目的とすることの是非

実は、私も今まではむしろどちらかというと、そのような考えを持っていたと思うのですが、人によっては

「長生きすることだけを目的に生きているなんて、良くない」
「寿命は天運だから、自然に任せるのが一番」

……というような信念というか、思想(?)を持っているかもしれません。

あるいは、もっと極端に

「人生、太く短く生きるのが良い」
「年寄りがいつまでも生き長らえるのは迷惑だ」

というような観念を持ってしまっていることもあり得ます。

でも今は私はその意見に与しません。

もちろん、これは個人個人の考え方によりますから、何が正しいとかじゃないんですが、でも、少なくとも私自身は、自ら長生きしないような生活態度や、明らかに寿命や健康に有害な生活習慣などを、

「どうせ長生きしない」

という理由で放置したり、積極的に続けたりする、そういう考えは(私も今前少しそういう考え方に傾いていたのですが)、思い切って捨てようと思っています。

むしろはっきりと、明確に

「長生きするほうがふつうなのだ」

と自分の中で決めちゃったほうが良いと考えています。

「長生きする」という前提で考えたほうがいいと思う

人によりますが、長生きした場合のマイナスの面ばかり意識して、

「だから長生きなんて考えないほうがいい」

と思っているとしたら、それは発想のしかたが逆なんじゃないかと思うんですよ。

むしろ、自分は長生きするという前提で、長生きした場合のマイナス面を解消するためには何をすれば良いのか?

長生きした上で、それでも元気で、健康で、有意味な人生を過ごすために、何をしなければならないのか?

今すべきことは何だろうか?

……ということを考えたり、実践したりすることのほうがより重要なんじゃないかと感じるのです。