QOL(クオリティ・オブ・ライフ)の実質的な意味

QOLとは、クオリティ・オブ・ライフ(Quality of life:生活の質)の頭文字をとった略語です。

生活の質……と言っても漠然とし過ぎているので、一般的な説明としては、

「その人が人間として、個人としてどの程度快適で幸福な生活を過ごしているかという尺度」

という感じです。

QOLとは

QOL(生活の質)という言葉は、第一には医療分野で用いられる言葉と考えて良いでしょう。

この分野で登場する場合のQOLという言葉は、背景として今までのような

「単に病気を治すとか、単にできるだけ延命することに主眼を置いた医療」

に対する批判や、反省という視点が含まれています。

たとえば、重度のがん患者さんにとっては、もちろんできることならば

「がんそのものを完全に治療してほしい」

という気持ちもありますが、それだけではなく同時に

「できるだけ苦痛を取り除いてほしい」
「できる限り今の日常生活を続けたい」

といった希望や、場合によっては

「もし治療しても効果がないのなら、むしろそのままにしておいてほしい」
「余命を安らかに過ごしたい」

といった気持ちがあるかもしれません。

それなのに、治療する側が(場合によってはほとんど完治の見込みがないにもかかわらず)あくまで「がんの完治」を優先するような診療方針を選択したり、場合によっては苦痛や不快を伴うにもかかわらずひたすら延命するための措置を優先したりすれば、仮に余命がある程度伸びることになったとしても、それが本人にとって本当に良いことだったかどうか……難しい問題です。

ですから、たとえば治療効果が比較的高いが副作用も大きい治療法と、治療効果はあまり見込めなくても副作用が少なく日常生活への影響が少ない治療方法を選ぶか……といった「選択肢」が、それぞれの患者さんごとに異なる場合があってよいわけです。

その際に用いられる重要な観点として、QOLがあります。

現在、がんなどの重篤な疾患だけでなく、うつ等の精神科分野における治療やアトピー性皮膚炎など、さまざまな病状や疾患について、その治療方針を決める材料としてその疾患に対するQOL評価が用いられています。

ただし、患者さん本人のQOL(生活の質)というものを単一の基準で数値化して把握するというのは想像するほどかんたんなことではありません。

その病気に関することだけでなく、患者さんの経済状態や家族環境などの背景が個々に違うからです。

しかも、患者さん本人が何を望んでいるのか、一口に「生活の質」と言っても、何を重視しているか、何を大切に思っているか……などが千差万別だからです。

そのため、医療分野におけるQOL評価法は各研究者や関連機関などからさまざまなモデルが考案されており、現場においてもその評価基準や対応方法などは統一されていないのが現状でしょう。

SF-36

上記のようにQOL評価の方法はまだ完全に確立されているとは言えません。というか、おそらく今後も様々な見地から議論が進められ、より改良され続けることでしょう。

しかし、別の面から言うと、共通の基盤がないままそれぞれが個別の対応のみに終始しているだけではその効果は半減してしまいます。

そこで現在のところ、特定の疾患に特化したものではなく一般的にQOLの尺度として国際的に広く知られている例として、SF-36(The 36-item short form of the Medical Outcome Study Questionnaire)があります。

SF-36では健康という概念を

① 身体機能
② 日常的身体機能
③ 身体的苦痛
④ 全体的健康感
⑤ 活力
⑥ 社会生活機能
⑦ 精神的役割機能
⑧ 精神的健康

といった8つの要素に分解した上で、それを36項目にまとめています。

このような、ごく汎用的なQOL評価基準が存在することで、

① 病気や疾患の種類によらず評価を比較できる
② 健康な人にも使うことができる
③ 広く当てはめることができるため統計化しやすい
④ 多くのデータが蓄積される

といったメリットがあるわけです。

社会問題としてのQOL

QOLという概念は主に医療とその関連分野、リハビリテーションや介護といったところでよく用いられますが、それだけではなくしばしば国家や社会全体の問題としても取り上げられることがあります

通常、社会や国家という括りで検討したり比較したりする場合には、一人当たりGDP(国内総生産)や、国民所得、経済成長率といった経済的な指標を用いることが多いですが、社会的な分野でクオリティ・オブ・ライフという場合には、それよりも幅広くその社会や国民全体の「生活の質」を捉えようとするもので、ごく一般的に言えば、たとえば

① 自由や権利の保障
② 情報公開性や情報へのアクセス難易度
③ 社会保障の充実
④ 主観的な豊かさ、幸福度

といったものについて特定のデータを抽出して総合的に比較したりすることになります。

ただしこの方面でも現在のところ統一の基準が確立されるには至っておらず、各機関がそれぞれに独自の基準や項目を提案している状態です。

たとえばエコノミスト・インテリジェンス・ユニットという組織が作成する「Where-to-be-born指数」という評価方法では、

① 離婚率
② 教会への出席率
③ 購買力
④ 失業率
⑤ 男女の賃金格差

といったものも指標として挙げられています。

他人事としてのQOL

このようにQOLという概念はかなり幅の広い概念で、一口に「生活の質」といってもそれが具体的に何を表すのかという部分でもいまだに議論があり、その概念や定義そのものが模索されている最中だという印象を受けます。

ですから私たち一般の人からすると余計、なんだかよく分からない……というふうに映るのも無理はないかもしれません。

そこで、私たち一個人として特に意識すべき点はまず、いずれの場合にも、そもそもQOLという概念や基準というのはほとんどの場合、医療従事者やリハビリテーション活動に携わる専門家、あるいは経済学者や社会学者、あるいは政治家など……つまり、生活の質を「与える側」から語られることが多いという点です。

それらの専門家や責任ある地位の人や団体から見ると、私たちは「受け手」であるという前提というか、構図になります。

要するに、私たちはともするとQOLを一方的に提供される側だったり、あるいは自分のQOLの程度を調査されたり、評価されたりする側……という認識になりがちだということです。

でも、こういう認識のしかたは本来おかしくないでしょうか?

そもそも自分自身の「生活の質」に最も責任を持つべき立場の人はだれなんでしょう?

もちろん、私自身、あなた自身……要するに自分自身ですよね?

本来、自分のQOLは自分が主体的に高めるように努めなければならないものだし、自ら定義し、自ら求めていくべきもののはずです。

自分事としてのQOL

そもそも、QOLとうのは別に高齢者だけの問題でもないし、何か疾患や障害を経験して初めて関係するようなことでもないはずです。

それに、私たちは単に医療や環境をだれかから与えられるだけの存在ではもちろんありません。

自分にとっての「生活の質」「人生の質」を自分から考えたり、探したり……そして、それを叶え、より高めていくのだという意志が必要ですよね?

むしろQOL、生活の質というのがきわめて意味の広い概念であるからこそ、まず必要だと思うのは、私たち一人ひとりにとっての、

「自分自身にとっての生活の質って一体どういうことなのか?」

ということを、よく考えて自分なりにはっきりしておくことだと思うのです。

これ自体は健常者でも若年層でも同じことじゃないでしょうか?

そして、それは単に老後の過ごし方とか、たとえば病気になったらどういう治療を受けたいか……というだけに限りません。

そもそも自分自身にとって、自分の人生の中で何が最も大事で、大きな影響があることなのかといった問題を自分が主体的に考え、選び取る意識を持たなければならないのです。

そして、それを自らがはっきり意思表示する必要があると思うのです。