「老後の生き方が不安……」「じゃあまず、老後って言うな」

「老後かあ……」

私自身もそろそろ中高年と呼ばれる年齢になりましたので、いわゆる老後の生活や、高齢者としての生き方を模索しなければならないという意識はあるのですが、老後の生き方を思い巡らせようとした時に、そもそも

「老後」

という言い方ってどうなんでしょう?

「老後の生き方」という表現がそもそもよろしくない

たとえば、自分の親にとっての「老後」という感覚と、私たちがこれから実際に向かえるであろう「老後」って、たぶん感覚がぜんぜん違いますよね?

確かに、今まで日本は経済成長も経験し、一億総中流みたいに言われて育ってきたわけですし、同時にその間に、あれよあれよと平均寿命は高くなって……。

もはや「人生50年」とか言われた時代は過去のものであって、すでに80年とか、それ以上のスパンで人生を考えないと成り立たないわけです。

だから、日本人ならだれもが老後の不安とか、余生の生き方といったものを自分自身の問題として考えなければならない。

……っていう話が当てはまるのって、

「今すでに老後になってる人」

ですよね?

そして、それに伴って具体的に今、どんな問題が表面化してきているのか、一人ひとりの高齢者の方や、それを取り巻く社会全体がどういう対応を迫られているのか……といった問題もたくさん出てきました。

もちろん、それらは今まさに喫緊の問題であることは間違いないですよ?

でも……。

でも、私たちの世代はもうそれを知っているわけですよね?

そう考えると、そもそも

「老後」

という概念そのものが、私たち以降の世代にとっては成り立たなくなる可能性が高いし、むしろ、そうしていかなければならないと思うのですよ。

たとえば、定年して、リタイヤ生活になって、余生を送る……というイメージそのものを修正していかないと。

年金の範囲内で、貯金を切り崩しながら日々をゆっくりまったり過ごせればいい……というようなイメージを、自分に当てはめるのをやめないと。

そもそも私たち以降の世代ん人にとっては、老後と呼ぶには、残りの人生が非常に長すぎるわけですよ。

そして、もはやそんな生き方しか許されないというような環境でもないわけですよ。

人生全体の捉え方を修正しなければ

そもそも人生の全体を80年とか、100年とか……そういうスパンで見なければならないということです。

今までのように、60歳で定年、あとは余生……という感じ方そのものが、過去のものになっているはずなんです。私たちがその年齢に達する頃には。

しかし、確かに現状は、社会全体では、まだ完全にはそのような体制にも意識にもなっていないです。時代や社会のほうが、現状に追いつこうと必死に頑張ってる……そんな感じですよね?

となると、私たち中高年世代にとって今後一番大事じゃないかと思うのは、むしろある程度人生経験を積んで、ある程度の年齢に達したからこそ、そこでさらにもう一度、

「自分が生きる意味を問い続けること」

だと思うし、

「自分が生きる目的を追い求める意思」

のようなものが必須になってくるということです。

「老後の生き方」

という感覚ではありません。

少しうがった見方かもしれませんが、今までの「高齢者」のイメージ、典型的な老後の暮らし方のイメージというのが、私たちの世代から見るとすでに前時代的なものと映って仕方ありません。

それは、あえてはっきり言えば、高齢者というのはそもそも、本当は、根本的にはすでに生きる意味を終えている……にもかかわらずまだ生きなければならない存在である、というようなイメージです。

そして、だから、国なり機関なりが、つまり公共の手によって生きる意味を提供してあげなければならない存在……という感じなのです。

この固定観念そのものを、少なくともこれから後の世代の人々は払しょくしないといけない。個人個人としても。社会全体としても。

だから、もう「老後」という言葉自体が死語になって然るべきなのです。