「長生きなんかしたくない」という人の気持ち

長生きしたくない……だなんて本当だろうか?

私はずっと長い間、当然だれだって

「長生きしたい」

と思ってるに決まっていると、思い込んでいました。

最近になって、その手の会話をするたびに、周囲の人の中には

「そんなに長生きしたって、しょうがないよ」

というように言う人が意外に多いということに気が付きました。

でも、私は思うのですが……口で何と言おうと、心から本当に長生きしたくないと思っている人なんて、いるんだろうか?

ごく単純に言って、人はふつう「死にたい」なんて思いませんし、長生きしたいほうがふつうでしょう。

長生きしたくないというからには相応の理由があるはずなのです。

私自身は、長生きしたくない……なんて考えを露ほども持っていない人間ですが、じゃあ、どうして多くの人が長生きしたくないなんてことを口に出すのかと考えてみると、こんな理由が浮かび上がってきます。

「長生きしたくない理由」① 高齢者の生活に対するイメージ

まず、多くの人は、長生きというよりも、実は

「高齢者の生活」

というものに対してマイナスなイメージを持っているのだということが分かりました。

「長生きしたくない」

と言っている人だって、仮に若い状態のままで、あるいは少なくとも、今時点の健康状態や体力、精神力などが今後もずっと維持できるという前提だとすればぜんぜん話は違ってくるのです。

具体的には、

① 生活範囲や日常動作が限られる
② 病気などの不安
③ 高齢者の生活に対するマイナスのイメージ
④ 経済的な問題、生活上の不安
⑤ 周囲の人への遠慮、迷惑

こういったものを感じながら、抱えながらそれでも生き続けるということへの不安感や嫌悪感みたいなものがあるので、そんなだったら

「長生きなんかしたくない」

という意味で言っているわけですね。

確かに、日常の会話でもテレビなどのニュースでも、高齢者に絡んで決して愉快とは言えない事例が数多く耳に入ってきます。また、実際に家族や近しい方が具体的な問題を抱えている例も決して少なくはないでしょう。

もちろん高齢者向けのテレビ番組など、特定の部分だけを見れば

「生き生きと元気に暮らす高齢者」
「楽しく幸せで前向きな老後を過ごしている高齢者」

といった例もたくさんあることには気が付くことはできるでしょう。

しかし、やはり全体としてみると昨今の高齢者に関する知識や情報は、その多くがマイナスなイメージをもたらすものだと言わざるを得ない面もあります。

そのようなことに思いを巡らせれば、手放しで

「長生きしたーい」

などと安易に言えない……そんな気持ちも理解できます。

「長生きしたくない理由」② 「老い」そのものに対する嫌悪感

それと同時に、というか被る部分もあるかもしれませんが、高齢者の実際的な生活状況とかいう現実的な問題ではなくて、

「高齢になることそのもの」

に対してマイナスなイメージを持っている人が多いことも分かります。

これはもちろん個人の価値観や考え方によるところが大きいですが……最近目立って感じられるのは

「若いことに価値がある」
「人生は若い時代だけに意味がある」

というような、ある意味偏った(?)考え方を持っている人が多いということです。

主観としては、若者の間でこういう価値観が大きくなっているようにも感じます。

極端な話、まだ高校生くらいなのに

「もう若くないな」

とか

「もうおばあちゃんだよ……」

といった表現を用いる若者は想像以上に多いです。

私から見れば明らかに若い、っていうか、若すぎる。まだ子供だろ?

……って感じるので、このような言い方をする若い人見るとすごく違和感があります。

で、そういう人はほぼ必ず

「長生きなんてしたくない」

というわけです。

そういう表現を聞くことが多くなると、現代人は、ある意味では「死」に対する臨場感を失っているような気もします。もしかすると、もっと上の世代(たとえば戦争を経験している世代とか)の方から見れば、私だってそのように見えるのかもしれませんが……。

でも、仮に死に対する現実味が薄れてくると、その分、特に今の日本などでは、死ぬことよりもむしろ

「老いること」

に対する現実感、臨場感のほうが勝っていると言えるのかもしれません。

これは、ある意味良いことのようでもあり、良くないような気もする……のです。

「長生きしたくない理由」③ 現状の不満や絶望を反映している

もうひとつ、しばしばあり得るのですが、ある場合には漠然と、あるいは明確に特定の問題を抱えている例もありますが、そもそも今現在の時点で、何か生きる上での不満や、絶望感のような感情を持っている場合があります。

そう言えば、日本は人口当たりの自殺率が世界で18位(2015年)と、きわめて高い国です。

ちなみに同じ2015年の統計でアメリカは39位、ドイツが45位、中国は72位です。これだけの治安と経済力を持ちながら18位というのは、きわめて特異な状態にあると言えます。

もちろん、本当に自殺に至るような場合というのはもっと多様で複雑な原因を考えなければならないでしょうが、一般の気分として、高齢者になったら、とか、老後は……というような意味ではなく、今生きているその時点で

「生きる意味が実感できない」
「目標や目的が見つからない」

とか、

「生きることに絶望感や、徒労感を持っている」
「現状に対する不満が鬱積している」

……というような悲愴な心理状態にある人は、もちろんだからと言って今すぐ死ぬの生きるの、という話にはならないとしても、漠然と将来をイメージした時に

「長生きなんてしたくない」

という考えに傾くであろうことは想像に難くありません。

極端に言うと、そのような心理を持っている人は、今すでに

「あんまり生きたくないけど、しょうがないから生きている」

というようなイメージを持っているのです。

「長生きしたくない理由」④ 「死」を受け入れるため

上記とは逆に、むしろ

「死に対する恐怖感を克服するため」
「死ぬという事実を受け入れるため」

に長生きしたいというような考えを持つべきではない、とある意味積極的にというか、前向きな感覚で

「長生きなんかしたくない」

と言っている場合もあります。

確かに、人間は大局的に見ればだれでもいつかそれ相応の年齢になると死ぬということは分かっているわけです。

だから、それを気持ちの上で受け入れるには、長生きしたいとか、もっとはっきり言えば

「死にたくない!」

などということを(ある意味素直に)言ってしまうことは

① 恥ずかしいこと
② 大人げないこと
③ レベルが低いこと

……というような心理が働くことになります。

このような心理は、ある程度の年齢になればだれでもある程度自然に出てくるとも言えますが、相当若い時点ですでにそのような観念を固めている人も中にはいます。

もちろん、それは人間的な成長の証、人格的な円熟とも言えます。

しかし、裏側から見るとそれって、場合によっては無理に理性や思考の中だけで、自分の「死」を受け入れる心の準備をしているだけじゃないか?

……というふうにも見えます。

繰り返しますが……私自身は、長生きしたくないなんて考えを露ほども持っていない人間です。

実際にどうなるかは分からないにせよ、いい歳して……と言われそうですが、今でも気持ちとしては

「死にたくなーい」
「長生きしたーい」

です。ですから、死を受け入れられるような信念や哲学、あるいは信仰も価値観もまったく持つ気はありません。

私が死ぬ間際、臨終の床で叫ぶ最期の言葉はたぶん……

「死にたくなーい! もっと生きたいよー!」

です。

最近はむしろ、それでいいのだと、本来そうあるべきではないかと……逆の意味で達観しちゃっているのです。